私の音楽観について
はじめに、音楽とは、そしてクラシック音楽とは。
音楽とは時間を用いた時間芸術の一種です。ちなみに絵画等の芸術は空間芸術と呼ばれています。時間の流れ(いわゆる拍子)の中で様々 なリズムを作り出し、そのリズムの上に種々の和音やメロディが乗り、一体となり1つの作品を形作る。これが音楽の根本的な成り立ちです。
そしてクラシック音楽とは、
数十年数百年前の作曲家たちが残した曲を弾き、彼らが感じた希望や絶望、見た景色から見えなかった夢までを美しく表現する音楽です。
上記に挙げたようにクラシック音楽とは過去の産物を美しいと思う感性で楽しむ芸術です。つまり、奏者の多くはその時代ごとの背景を理解し表現していくことが主流であります。ではそこで生じる奏者ごとの違いは何なのでしょう?
それは奏者自身の生まれ育った環境や音楽に対するスタイルの違いです。奏者は作曲者や時代をよく理解し、それを自分のスタイルで演奏する。それが現代のクラシックのオーソドックスな在り方です。
私の演奏スタイルとは
それはエモーショナルで、かつ現代的なクラシック!
正直、上記に挙げたような美しいクラシック音楽はプロの演奏会に行けばそこらでお目にかかれます。つまり正当なクラシックを聴きたければ世の中いくらでも方法はあるのです。探せば今日にだって聴きに行くことができるでしょう。
私の演奏する音楽はそういったものとは一線を画すクラシック音楽です。現代に生きる私が、現代最先端の奏法を取り入れ、私自身の心の内を一切隠さず叙情的に弾きあげる。その時その時の感情の揺れに対して、二度同じ演奏が出来ない刹那的な音楽。それが私の提示していきたいスタイルです。
現代に生きているのだから100年200年前にはない現代曲の奏法を取り入れたい!私が弾くのだから私の歓喜も絶望も驚きも悲しみも全部詰め込みたい!そんなワガママなスタイルです(笑)。
現代の若い人の悩みは勉強か恋愛か人間関係かがほとんどを占めるのではないかと思います。それらは決してチープなものじゃない。バッハもベートーベンも同じような悩みを曲にしたんです。そしてもう少し前に進めば人の前には絶望は必ず現れます。しかしこれもまた先人たちは経験し曲に残した。そんな時にクラシック音楽を聴いて前に進むなり絶望に浸るなりしてほしい。太宰治は現代人が読んでも暗く、しかしその暗さは今なお共感を呼び、現代でもファンが多いでしょ?私も好きです太宰。そんな太宰治の絶望も、ベートーベンの絶望も大きくは変わらないと思っています。だから今の若い人達がもっとクラシックに寄り添えるように、本を手に取るような軽い気持ちでクラシック音楽を聴くきっかけになれるような奏者に私はなります。
綺麗な音楽が主流で、ほとんど多くの奏者がそれを追求するのです。正当なクラシック音楽の探求などはその他多くの人に任せておけばいいでしょう。残念ながら普通の美しいクラシックを聴きたい方からの評判は良くないです(笑)
しかし私もいつかもっと多くを知って経験や知識を得ていったらいずれは、その正当なクラシックを追求せざるを得なくなると思います。その時はきっともうエモーショナルな演奏はきっと出来なくなっているはずです。だからこの才能が枯れるまでは、私はこのスタイルを譲らずに活動をしていこうと思います。
出来れば録画でも撮ってYOUTUBEにあげたいと思いますが、環境がないためもう少し時間がかかりそうです。
東京に帰ってきたら演奏会を各地で開く予定ですので、興味を持たれましたら是非お越しください!